地域活性化の目的

 最初の議論として、地域活性化とは何かということを考えてみたい。地域活性化という言葉は分かりやすいようで、明確に定義することは意外と難しい。そこで、まず地域活性化の目的を明らかにしてから、地域活性化のあるべき姿を探ってみたいと思う。

それは本当に地域活性化なのか

 「地域活性化」(または「地域の活性化」)いう言葉は、様々な場面で使われている。たとえば、次のような文脈で地域活性化という言葉をよく見かける。

  • 交流人口を増やして地域活性化
  • スポーツで地域活性化
  • 住民ボランティアで地域活性化
  • 新幹線(または高速道路)を誘致して地域活性化
  • 企業を誘致して地域活性化を
  • 観光資源で地域活性化
  • 地域活性化のためのリノベーション
  • 動画制作で地域活性化
  • 地域活性化のために祭りを開催
  • 地域活性化のために住みよいまちづくりを行う
  • マンション誘致で地域活性化

 ここに並んでいる言葉を見て、微妙に「地域活性化」のニュアンスが異なっているのに気が付くだろうか。実際、「地域活性化」という言葉は、それを使う人の立場によって(また、多くの場合はその人の都合の良いように)様々な意味で使われている。しかも、「地域活性化」を目的とした取り組みを詳細に見ていくと、実は地域を疲弊させるような活動も少なくない。

 それでは地域活性化とは何だろうか。たとえば企業の場合、その目的は(社会的責任を果たしつつ)利益を上げることなので明確だ。そして、利益や売上高などを見れば、企業の活力を測ることができる。しかし、地域の場合はどうなのだろうか。

 たとえば塩見譲氏は次のように定義している。

活性化とはそこに住む人びとが地域の資源を活用し、生きいきとした創造的な生活を営んでいる状態、またはそうした目標に向かって努力している状態を指すのであろう。

塩見譲『地域活性化と地域経営』p.253、1989年

 確かに、この定義に対して積極的に反対する理由はなく、地域活性化とはそのようなものだろうと、漠然とは思える。しかし、肝心の「創造的な生活を営んでいる状態」がどのような状態なのか、具体的には見えない。また、一見すると創造的であるように見える活動が、実は地域の資源を食いつぶしているというような事例もある。すなわち、この定義は地域活性化に成功しているかどうかを客観的に判断できるものではない。
 他にも地域活性化を定義する試みは行われてきているが、同様に地域活性化に成功しているかどうかを判断したり、地域の活力を測ったりすることができるようなものはほとんど見られない。

地域活性化は地域の持続可能性の向上

 地域活性化を考える前に、地域の目的を再確認してみよう。地域が社会全体に対して果たす役割は様々なものがあり、地域によって異なっている。そのため、一概に地域の目的が何であるかを定義するのは難しい。さながら人によって人生の目的が異なっているのと似ている(個人も地域も自然発生するものであるという点も共通している)。
 しかし、人生については生きることそのものが共通の目的といえるだろう。同様に考えると、地域の共通の目的は地域の存続そのものであると考えられる。

 そうすると、地域活性化の目的とは地域を存続させること、もう少し専門的な言葉を使えば地域の持続可能性を高めることにあるといえるだろう。
 どのような手段によるとしても、地域の持続可能性を高めることができれば地域が活性化したといえるし、どのような魅力的な活動であっても、地域の持続可能性を低下させるようなものであれば地域の活力を損なうものであると判断することができる。

 例えば、地域内に高規格な道路を作って利便性が高まったとしても、それが地域の持続可能性を高める結果にならなければ、地域活性化したとは言えない。むしろ、地域への立ち寄りが少なくなったり、維持費がかさんだりして地域が疲弊する結果につながることもある。

 以上のことから考えると、地域の活力は地域の持続可能性という観点から測るべきだし、地域活性化を目指して活動を行う場合は、まずその活動がどのように地域の持続可能性を高めることにつながるのかを考えることが重要といえるだろう。

 ただし、地域が名目上は存続していたとしても、実質的には地域として機能していない場合もある。これは、とりわけ情報化社会においては問題になる。これも後で議論していこうと思う。

 なお、「地域活性化」と同類の言葉に「地域おこし」や「地方創生」などの言葉もある。これらの言葉は、「地域活性化」という言葉の曖昧さから逃れるために造られた言葉と見られるが、これらの言葉が新しく生まれるたびに、同様に解釈が広げられて曖昧化するという現象が繰り返されている。そのため、本ブログでは「地域活性化」という言葉をあえて使用し、その意味や意義を追究していきたい。

※この記事は、私の前のブログ「地域活性化と情報化社会を考える」に掲載していた記事を加筆修正したものです。